思えば、遠くへ来たもんだ~Looking back, I've come so far!~

好きなこと、モノしか語れないブログです。

hideを巡る冒険

危険な沼にどっぷりと嵌っておりました、Gon.です。フランス小雨のもの悲しいお天気です。

 前回の記事を書くにあたり、hideちゃんのことや当時の記憶などいろいろと思い出すこともあり、その後は(余計なことだとは分かっていても!!)過去の業に引かれ、検索➡検索➡検索からの危険な"詮索沼"にどっぷりとはまってしまっておりました(くぅ~っ)・・・いやぁ、怖い、怖い。うっかり引きずられるところでした。

TVと雑誌が情報源だった当時から、記憶がアップデートされておらず、インターネットの大海原を流されるままに漂ってしてしまいました・・・

ただ、思い出はそのままに。憧れはあこがれのままに。それで良いのかもしれないなぁと。

わたしがここに書く『好き』は、主観的なもの以外のなにものでもなく、私がもしhideちゃんという人物を語るのであれば、それは、当たり前ですが、わたしの中のわたしが感じた(こう述べてしまうと悲しい気もしますが、私の作り上げた)hideちゃん。真実かどうかなんて分からないし、そもそも真実のhideちゃんって何なのでしょう!?(君には僕が見えてるか?僕には僕が見えないって、hideちゃん自身がおっしゃってましたやん。なんちゃって)

ここで語りたいのは、誰かに押し付けるわたしの『好き』ではなく、hideへ送るラブレターでもなく(ラブレターは、どうぞご勝手に空へ送ってあげてください。笑)、『好き』が原動力で、わたしに起こった由無し事を、その『好き』から少し距離をとれる今だから、語ってみたいのです。

いろんなことを考えてしまった・・・ネットって恐ろしいわぁ(笑)

hideとの出会いとhideを探す旅

hideという存在をきちんと認識したのは、1994年。ソロ活動として、4曲目となる曲、TELL MEをMステ(ミュージックステーション)で披露する彼を見たときです。

hideの何が好きだったかって、一にも二にも、音楽でしょう。彼の生み出す音楽たちには、毎回、ドッキドキ、ワクワクさせられます。ポップでメロディアス。忘れられないメロディなのに、厚みのある音、音、音の洪水。今度は何をしてくれるんだろうという期待感を存分に満たしてくれる彼の音楽とエンターテナーとしてのセンスは、心の琴線をバシバシ弾(はじ)く、理屈なしで体の奥を刺激する、そんな心地よさと危険さを合わせもっていました。

歌詞がまた・・・面白くて、優しくて、ズルい。それでいて、悩んでいるのは1人じゃないよって、(通常、カッコ悪いだろうと思われる)自身の苦悩や苦しみもしっかりと見せてくれる。嘘がないというのでしょうか。お前の悲しみも受け止めてやるって言ってくれるような人は稀有だったと、今振り返っても思うのですが、どうでしょう。

Stay free my misery 炸裂する痛みが 駆け抜けるだけの風ならば

Stay free your misery 雨のち晴れを待とう ほら 君の涙を食べちゃおう

 

MISERY hide, 1996

一度焼き付いたら離れないあの強烈な光を放つ瞳とともに、心のきれいな人なんだって、正直な人なんだって、(勝手な話かもしれないけれど)この人なら信じられると思ったのです。知れば知るほど、彼は手の届かない、大人のお兄さんで、早く大人の女性になって追いつきたいなって思ったことを覚えています・・・

今、彼より年を重ねて感じることは、あんなにも大人びて見えた彼はもしかしたらそれほど大人だったのではなくて、本当は、大も中も小も彼自身も含めて、いろんなものに捕らわれすぎていたのかもしれないってこと。もしも、彼がもう少しだけ年を重ねていたら、いろんなことをもっともっと上手に受け止めて流して、もうちょっとだけ楽に自由に生きていけたのかもしれないということ。な~んて、勝手な憶測でしかありませんが。どうでしょう。

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フランスの我が家にも、、、hideちゃん

さて、そんなhideから受けた影響が、1番顕著にあられた出来事は、何かと問われれば、ズバリ、進学!と答えるでしょうね。さらに将来の夢・・・かな。

地元の国立大学に通い、教員になろうという夢を持ち、県下有数の進学校へ入学した田舎ものが、いなくなってしまった彼を後世に伝えていかなくちゃいけないと(とんでもない使命感に駆られて)、齢18で地元を離れ、東京に行く!という決断をしたのは、まぎれもなく彼との出会いがあったからです。それから田舎へは戻らなかった(戻っていない)こと、当時夢だった教師にもならなかったことを考えると、それはそれで大きな人生の分岐点だったと思うのです。

彼の類まれなるセンス ―作詞、作曲、エンタメプロデュース(人を驚かせたり、喜ばせたりすること)― と、あの笑顔に、ワクワク、ドキドキして、何となく鬱屈した日々を救われたことがきっかけではありますが、そんな人を突然失った驚きと悲しみに、そして、もう会えなくなってしまったという後悔に(これが一番かな)、彼がいた世界をもっと知りたい、感じたいと、当時はまだまだ、ロンドン、ニューヨークと並ぶ世界の中心地だった東京へ行くことに決めたのです。

進学先の決め方は、全く褒められたものではなく、地図帳の皇居にコンパスの針を刺して、半径3センチの円を描き(ほぼ山手線と一緒の円になりますね)、その中にある大学から選択をするという。。。とんでもヤロウでした(爆)私から言ったらド真剣だったのですが。

受験の最中もずっとhideちゃんやスプレビ(hideのソロ活動時のメンバー、Spread Beaverの略)の皆さん、hideちゃんが好きだと紹介していた(時代を問わず、洋楽邦楽問わず、クラッシュからナイン・インチ・ネイルズ、Coccoさんなどなど)バンドや歌手の音楽を聴いて過ごしていました。CDショップやレンタルショップ(懐かしい響き・・・)に寄ることが息抜きで。

元ZEPPET STORE、木村世治さんのオールナイトニッポンも聞いていました。そういえば、そこで初めてオンエアされたHURRY GO ROUNDを聞いた時の衝撃は、今も忘れられません。「また春に会いましょう、なんてそんな言葉を残して逝くなよ・・・」真夜中に大号泣。

ただ例えれば、実る果実の 芳しく眩い香りも 

ひとつ季節彩り そっと枯れ落ちたとて

蔦は絡まり 実は朽ち果てて 思いでの欠片土に帰り

また花となるでしょう

Like a merry-go-round & round

また春に会いましょう

 

HURRY GO ROUND hide with Spread Beaver, 1998

そんな私が東京へ行って、初めての春にしたこと。それは、hideちゃんを探すこと。正確にいえば、彼の面影、痕跡をたどること。

当時、表参道にあったhideちゃんのヘアメイク担当、宮城さんがいる美容院、SQUASHに行って髪を切ってもらったり(そりゃもう、大冒険(笑) ドキドキしたなぁ。表参道という場所とここにhideちゃんも来たんだなぁって。それからしばらくは通って、ある時は、赤い色をいれてもらったこともありました・・・遠い目)

それから、スプレビメンバー個々のライブに行ったり。もはや東京にいるので、夜行バスに乗る必要はなし(笑)と、東京の夜を楽しみました。ちょっと裏通りのライブハウスに通うの、楽しかったなぁ。言い方は悪いのですが、そんなことをしながら、わたしはぽっかりと心に空いた穴を埋めようと、hideちゃんの代わりを探していたのです。

4月の終わりには、ゆっくり話をしてみたくて、少し早めにhideのお墓参りへ。お花を手に、渋谷から三浦海岸駅へ。バスに揺られて海の見える、hideの眠る三浦霊園まで。実際にhideのお墓の前へ来たときは、「春だよ」って呼び掛けてみたけれど、いないんだということを実感して、青い空を見上げちゃったことを覚えています。

探せば探すほど、本当にいなくなってしまったのだという現実を突きつけられたのでした。

Singing my song for me, singing your song for you

その後、時の流れと空の色に助けられて、いつどう自分の心と折り合いをつけたのか、はっきりとは覚えていないのですが、ある時、心にすーっと染み入った言葉は・・・Singing my song for me, singing your song for youというTELL MEの一節。

彼が彼の音楽を奏で、彼の歌を彼の人生で歌いあげたように、わたしは私の人生の中で、わたしの歌を歌いあげなくちゃならない、それが、まるであこがれのhideちゃんに近づく第一歩だと教えられたようでした。

振り返ってみれば、わたしの『好き』は、スティーブ・ジョブズが言う、ドットであり、いつも私の新しい扉を開くスタート/起点でした。そのドットを繋いで、導かれて、今、わたしはここにいる。

そしてhideちゃんと出会ったことは、大きな大きなマイルストーン。東京へ来なければ・・・、そして、この人たちと出会わなければ・・・、今のわたしはいないだろう。そう言えるものがたくさんあります。

そして、あの時、hideがいなくなって知った痛みと後悔に、物事に対する瞬発力も随分と鍛えられたような気もしているのです。それは、何かピンっとくるもの、少しでも心の琴線が動いた稀有なものに対して、躊躇わず、すぐさま行動したり、掴みにいったり、アクションを起こしたりする、という心と体の瞬発力のこと。

もう二度と何もせず、失う後悔だけはしたくない。hideちゃんを失った時のように。

この強い強い思いは、その後もいろいろな場面で、私の歩みの起爆剤になったなと、今、振り返ればはっきりと分かるのです。

“You can’t connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something — your gut, destiny, life, karma, whatever. This approach has never let me down, and it has made all the difference in my life.”


Steve Jobs

 ありがと、hideちゃん。もはや、感謝しかないよ。