思えば、遠くへ来たもんだ~Looking back, I've come so far!~

好きなこと、モノしか語れないブログです。

憂鬱な朝を越えて

Saints de glace/Saintes glaces(サン グラス)に入りました、フランスよりこんにちは、Gon.です。天気が荒ぶっております…

このサン グラスと呼ばれる時期、毎年5月10日から15日間のいずれかの3日間に該当するのですが(今年は、5/11~13)、特にヨーロッパでは、それまでの春の陽気とは打って変わって、気温が急激に下がったり、時によっては雪が降ったり、霜がおりたりすることがある=寒くなると言われている時期なのです。日本でいう、10月10日=雨が降らない日!のように認識されている日ということですね。

例にもれず、本日も気温が下がりまして、雨が降っております(場所によっては、大雨や雪)。どこであろうとも、人間と天候に関わる言い伝えというものは残っているもので、人間の本質を見ているようで興味深くなりますね。

 

さて、前回、素晴らしき哉BL沼!にハマった経緯について語った訳ですが、今回はペンディングでした、わたしの大好きな作品、『憂鬱な朝』について語ろうと思ます(結構、気合入ってまして、長いので、お気をつけあそばせ~笑)

憂鬱な朝

2008年より10年にわたって連載され、2018年に、8巻にて堂々の完結を迎えた『憂鬱な朝』。きっと『主人×執事』だとか、黒髪ツンデレ受!とかハイスぺ攻!などと表現されるのかもしれませんが、わたしはその辺り詳しくございませんので、ただのBL大好きな人間として、この物語を語らせていただきます。

8巻というボリューム、大作の部類に入る作品だと思われるのですが、この作品、何が好きかと申しますと、“明治という歴史の転換点を舞台に、惚れた晴れただけにとどまらない、人間としての成長の物語が描き出されている”こと。そして、“伏線も見事に楽しめる物語”であること。

作者様は最終巻のあとがきにて、地味な話とこの作品を表されましたが、非常によくできたエンタメでして、私の場合、考え考え考えた結果、ここに辿り尽きました。

若き子爵の恋

この作品は、明治を舞台に、久世子爵家(くぜししゃくけ)を次代に継承していく使命を負った若き子爵、久世暁人(くぜあきひと)と、その久世家の家令(かれい)桂木智之(かつらぎともゆき)が紡ぐストーリーです。

幼くして両親を亡くし、10歳にして子爵となった暁人には、家令である桂木の言うことが全てでした。桂木に乞い、桂木に学び、桂木に従う。そんな暁人の“桂木に認められたい”という一方通行な想いからスタートする二人の関係は、桂木が、長らく嫡男に恵まれなかった久世家に、将来は養子となり家を継ぐ存在として、分家である桂木家よりやってきたという事実、つまり、桂木にとって、暁人は自身の人生を歪められた、決して認めたくない存在であることを知った暁人により『取引』という名のいびつな関係(取引の名において、暁人が桂木と無理やり体の関係を結ぶ)へと変化していきます。

取引とは、暁人が(桂木が望むように)久世家のために生きること、つまり、久世家の子爵から伯爵への陞爵(しょうしゃく:爵位を上にあげること)を成し遂げることを条件に、桂木が暁人に一生涯仕えるというもの。

そんないびつな関係を続ける二人ですが、暁人の熱く、健気で、一途な桂木への想いを知り、接するうちに、少しずつ頑なだった桂木の想いにも変化が現れてくるのです。と、それもつかの間、実は、桂木が久世家先々代(暁人にとっては祖父)の庶子であり、この事実を利用して、当初は、幼かった暁人を廃し、久世家の当主になる方法を画策していたという過去が明らかになります。騙されていたと暁人は悲しみに暮れるのですが、それと同時に、桂木の幸せのため、桂木に爵位と久世家を継がせるべく、奔走し始めるのです。

自分が何ものでもないと思い込んでいるあいつ(桂木)に、確実な『何か』、居場所を与えてやりたい。

僕はあいつを幸せにしてやりたいんだ

一方、少しずつ変化する暁人への想いにとまどいながら、もう考えもしていない、忘れていた過去により暁人をひどく傷つけたと知った桂木は、久世家を出て、暁人の親友である、石崎総一郎の父のもとで、豪商石崎家の大番頭および総一郎の教育係として働き始めるのです。暁人を外から守る、と心に決めて。

思惑が錯綜!

久世家の陞爵と桂木の叙爵(じょしゃく)を認めさせるため、後見であり、華族令の・・・森山伯爵を、襲爵(しゅうしゃく)にかかわる彼の不正を用いて脅迫した暁人。暁人のしたことを知り、愚かなことをとなじる桂木に。

当主として失格だろうと何だろうと、もうお前しか好きになれないんだ。

僕はお前と違って家のためだけに生きることはできない。

だけど、お前ならそれができる。きっと後継ぎだって残せる。

お前なら、今からでも僕の存在を消すことができるだろう?

この先お前は自分のためだけに生きることができるんだ。

それだけで、僕はすごくうれしい。

という暁人。

この場面で結ばれる二人がわたしは全編を通して一番好きです。

桂木を思い、早く大人になりたくて、駆け抜けた暁人は、自分の想いだけを遂げたかった子供から、愛する人の幸せを考え、行動できる男性になっていた。そんな暁人は、やっと自分の気持ちに気づき始めた桂木の何歩も先を歩いていたのです。

 

それゆえに、暁人は、久世家のためではなく、暁人を守ることだけを考え行動した桂木の計画を最後の最後でひっくり返してしまうことになるのです。

その計画とは、(森山伯爵の脅迫で)隠居必須の暁人の代わりとして、不治の病に侵されており、もって数年の命と言われている久世家先々代のもう一人の庶子である、直継(なおつぐ)を久世家の当主として擁立すること。そのうえで、今まで尽くした年月の見返りとして、森山侯爵に、隠居した者(暁人)が当主(直継)亡き後、再び家督を継げるよう、華族令(かぞくれい)を改定する約束をとりつけたのです。さらに、森山侯爵家に代わり、桂木が生涯仕えることと引き換えに、石崎家の当主に久世家の後見となるよう(久世家を支えてくれるよう)依頼していたのです。

そのことは隠した上で、暁人に「2人で久世家をどうにかいたしましょう」と言う桂木。

私はあなたからたくさんいただきました。

もう十分です。

約束(陞爵という取引)を果たした暁人様に、わたしは応えるべきだと思いました。

・・・好きです。

初めて心を開いてくれた桂木に、この上ない嬉しさを感じる暁人。

だからこそ、一度は桂木の言に素直に従おうとするのですが、直継が当主たる器でないことを見抜いた暁人は、桂木の嘘にも、また気づいてしまうのです。何も考えずに、桂木に従っていれば、それほど楽なことはない。でも、桂木の策は、暁人だけを守るためのものであり、それに従ってしまっては結局、桂木に守ってもらってしまうことになる。桂木を幸せにしたい、桂木が築いてきた久世家を消したくない。暁人はそのために、土壇場で桂木の暁人を守るための計画をひっくり返すのです。

あの言葉(好きです)だけで、僕は何でもできる。

お前に報いたい。

だから今度はお前に僕を信じてほしいんだよ。

久世家のこともこれからのことも

かくて、直継は自分の子、直矢(なおや)への暁人の庇護と引き換えに、桂木の計画から降りることとなり、暁人は肺の病気療養のため隠居を考えていること(表舞台から消えること)、久世家が後見の石崎家の協力で、鉄道事業の合資会社を作ることが発表されます。

 

この経験を経て、暁人は桂木の大きさ(石崎家を動かせる力があること、金銭を動かす力があること)を実感するとともに、この後、桂木と共に歩いていくためには、己が変わらなければいけないのだと悟ります。そして、桂木から離れ、自分の力で先に進まねば、と、療養生活の名のもとに、英国へ留学することを決めるのです。

一方、この件で、暁人に負けた(出し抜かれた)こと、恋を自覚して無様になってしまった自分の姿に、すっかり自信を喪失した桂木。自分が何者なのか、何を成せばよいのかも分からなくなってしまった桂木は、石崎家の紡績工場の仕事に没頭していくこととなるのです。

共に生きる

暁人の留学まで間がないにも関わらず、揉めるのが怖く、お互いを失いたくないからこそ、肝心なことを話せないまま時を重ねる二人。

暁人は、石崎家に捕らわれた桂木を自由にすべく、また、旧領地(くにもと)の人々が幸せになる未来を見据えて、渡英準備を進めます。と同時に、家に縛られ続け、翻弄され続けた桂木を自由にするため、桂木の出自をたどるのです。

一方、未だに癒えぬ傷を抱え、暁人の熱さや差し出される手を受け止めて前に進めない桂木ではありましたが、仕事に打ち込むことで己の望みである、”自分にしかできない仕事を続けたい”という思いを自覚することで、少しずつ自信を取り戻します。

そんな二人は、暁人の静養地である鎌倉にて、再会をすることとなるのです。

お互いの気持ちを確かめ合い、語り合い、かつてない穏やかな日々を送る二人。

嘘も裏もない桂木の本音を聞いた暁人は、桂木に英国へ一緒に来てくれることを提案します。「わたしもあなたと共にありたいと思いました」とそれに応えた桂木は、出発準備のため仕事に戻ります。そこで出会ったのは、桂木によって変わった人物、そして桂木を心から慕う紡績工場の従業員たち。そこで、桂木は、己の”成すべきこと(責任)”と本当の”望み”を自覚するのです。それは、常に誰かに仕える道を選んできた自分が、表舞台へ立つということ。そして、暁人と共に肩を並べて歩くこと。

そのために、桂木は暁人に告げるのです。

英国へは行けません。

わたしはわたしの道を選びます。

あなたと共にあるために。 

一緒にいるということは、必ずしも共に生きるということではなくて、共に生きるために、道を違えねばならないこともあること。そして、己が己らしく、己の成すべきことを目指す、それを互いに喜び、励ませる関係こそが、現実を生きながら、愛するということ。

そんな桂木を予想していたかのように、暁人は自分に何かあった時のための遺言状と、桂木の本当の父親(桂木家の先々代)が書かれた手紙を渡すのです。

憂鬱な朝を越えて

この作品の中で、ずっと気になっていたことがあったのです。それはタイトル、『憂鬱な朝』の由来。

そして、暁人の英国出発の朝。わたしは突如として、その理由を知るのです。

いつも暁人が目覚める前に隣からいなくなってしまう桂木が、この日、初めて、暁人が目覚めたときに隣にいる。

暁人はそのことを以前、“いつもお前は朝が来る前に遠くへ逃げるから、どれほど寂しかったか”と語っていました。彼にとって、一緒に過ごした後、桂木が隣にいない朝を迎えるのが“憂鬱な朝”だったのです。でも、そんな朝はもう、今日で終わり。

一方、英国出発前の情事での桂木のセリフがこちら。“ずっとこうしていたいです。朝が来なければいいと思いました”

かつて見失った自分は何もので、何を成すべきか、それら全てを理解した桂木。と、同時に、“存在を恨み、人生を歪まされた暁人の誕生”を心から感謝できるようになった桂木は、並び立つのが怖かった暁人の隣からもはや逃げる必要がなくなりました。

そうなって初めて、桂木は、暁人とともに夜明けを迎え、暁人のいない朝を“憂鬱”に思うのです。

二人で共に肩を並べて生きるために、憂鬱な朝を越え、今、出立の時・・・

ううう~って身もだえしてしまうんですけれども、私だけ!?

これ、文学ちゃうんかい?

一方通行な暁人の思いからスタートする二人の関係は、徐々に互いに“相手”を守りたい、幸せにしたいというお互いを見つめ合う関係へと変化していきます。

しかし、この作品、この二人は、ここも通過点なのです。

自己犠牲に成り立つ誰かの幸せではなく、周りの人を大切に、相手を大切に、そして自分自身をも大切にすることを通して、二人で共に生きるために、ともに同じ方向(同じ志と未来)を見つめる(共有する)ことを選んだ、そのために努力できる二人が織りなすストーリーなのです。

 

愛とは互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめることである。の金言がありますが、まさにこの作品は、その”愛とは”を描ききった、まるで映画や小説を味わったような余韻が残る作品なのです。

 

読了後、思わず、「これ、文学ちゃうんかい!?」と叫んでしまったわたし。

今回のブログをまとめるために、これまた何度も作品を読み返し、レポート用紙4枚にわたり、ストーリー構成、関係性の変化、セリフなどをまとめて挑みました。

本作には、全然書ききれていない愛すべきキャラクターたちがたくさん登場します。彼らと一緒になって、途中じめじめ、鬱々とした暁人と桂木の関係も応援を続けることができました。

ぜひとも、BLという垣根を越えて、読んでいただきたい作品です。